「ブログにするまでもない、誰かの日常」

いわゆる個人ブログ。何となく思いついた事、考えたこと、仕事に趣味に気晴らしに呟きます。

8月9日(水)両方やらなくちゃならないのが……

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仕事中の落書き~。

というのは半分冗談で、ちょっと手書きの地図作成をしているのです。

手書きの略図であるとはいえ、

 

縮尺をごまかし鉛筆で手書き感を出す。

各お店の紹介など詰め込む。

 

「両方やらなくちゃならないのが、地域おこし協力隊の辛いところだな」

 

と、ブチャラティも言っているとおり、中々クリエイティブな仕事やらしていただいてます。こういう仕事は楽しいけど、仕事中遊んでるように見られるのは、ちょっと心外だなぁ。

8月8日(火) 立派じゃない犯罪って?

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鹿教湯では和太鼓の活動が盛んで、そのため夏場には多くの学校から太鼓の合宿の依頼を頂いています。

その練習場は、僕が働いている交流センター。おかげでドンドコヒューロロー大賑わいです。

まあ、仕事の差し支えにはならない程度、ということにしておきましょう。

 

さて今日はそんな合宿チームから差し入れを頂きました。

太鼓、煎餅?

うーん、それだとお菓子の種類が変わってしまう。

太鼓のデザインをした太鼓煎餅じゃない煎餅。うーん、この短い文章だけですでに矛盾があるような……。

 

どうでもいいですが、

「立派な犯罪」って言葉があるけど、

じゃあ「立派じゃない犯罪」ってなんなんだろうね?

めっちゃ悪い事?

それともめっちゃしょうもないイタズラ? 

 

うーん。分からん。

 

8月7日(月) 今日はとても楽しかったです。

昔、「今日はとても楽しかったです」という日記を書いて先生にやたらと怒られたことがある。

これに関してはいまだに何が不満だったのか僕は分からない。

 

具体的にとか、もっと詳しい感情をとか、いろんな意見があるのだろうけど、

おいおいちょっと待てよと。

 

日記って本来誰かに見せるもんじゃないでしょ。

まあブログ書いてる僕が言うのはあまりに説得力がないけど、でもそうじゃん!

 

日記は、その日を記憶するもの、自分の気持ちを素直に伝えられるものなんだもの!

 

それをあーだこーだ、文章力が~、感情が~、もっと膨らみを持たせて~。

 

 

あんたは僕に小説でも書かせたいんですか!

 

なんだ、平凡な一日がそんなに許せんか!

 

楽しかったらダメなのか!

 

今や、ブログやらtwiterで自分のことを世間に発信するのは当然のこととなってきている。

でもその文章は世間に触れることを考慮した上で書かれた文章であるわけだから、僕の定義で言えば日記ではない。

先生が書けといった小説に類する宿題用日記だ。

 

じゃあ、今の僕が書いている文章は何なのか?

 

もちろんこれは宿題日記です。

 

なので、今から当ブログで初めてとなる、「僕の日記」を書きたいと思います!

 

 

8月7日(月) 

 

今日はとても楽しかったです。

 

8月6日(日) あのはな全話見る。一回休み。

休日ですよ。

昨日はもうほんと、やってられないくらい働きましたもの。

だから今日はゆっくりと、

掃除、掃除、掃除!

 

あれ?   これ労働?

 

あと、なんか勢いで「あのはな」全話見ました。

感動だねぇ。

若いっていいなぁ。

夏はまだまだ続きます。楽しんで参りましょう!

8月5日(土) あー祭りだ、祭りだ、祭りだ、よよよい。

丸子ドドンコ

地域のお祭りである。

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祭りは参加者よりも当事者の方が楽しいという。

見知った仲間とワイワイ騒ぎながら屋台でたこ焼きを焼いたり、金魚すくいに来た子供達をからかったり、はてさて何が入っているか分からぬくじ引きにニヤニヤするのは、なるほどやはり楽しいだろう。

 

しかし。

その当事者を支える当事者。

いわゆる裏方。

つまりスタッフ。

というか小間使い。

 

ここの苦労は重い。

何が重いかといえば、交通規制の看板が重かったり、熱中症予防やクレーム処理などの責任が重かったり、休日出勤で気分が重かったり、いろいろである。

 

しかし、だからこそ祭りの成功があるのだ。

それは僕の成果であり、やった甲斐というものである。

皆んなの笑顔は僕が作ったのだ!

そう心に厚く刻もう。

 

 

いえ。決して余り物にありつけるからとか、そんなんじゃないです。

 

 

そんなんじゃないです。

 

 

8月3日(木) 忙しいと言ってもいい

控えめに言っても今の僕は忙しい。

こんな言葉を聞くと、最近の若者は根気がない。ゆとりが、親が、学校が、と何かとうるさい最近のおじさん達がガミガミ言い寄って来そうだけど、だったらはっきり言ってやる。

 

今、忙しい。

あんたの嫌味を聞けないくらいに。

 

はい。

嘘です。

偉大なる先人たちにこんなでかい口を叩けよう筈がありません。

これはあくまで比喩表現です。

なので悪口は偉大なる先人たちがいなくなった後に大声で言いましょう。

まあ、忙しいのは本当の話。

 

仕事だけじゃなく、人間関係、生活、趣味、遊び。

ただただ、忙しい忙しい。

 

7月31日(月) 月火水木金土日月火水木金土日月火水……

何かやろうと決めた時は、暇な時じゃなく、むしろ少し慌ただしい忙しい時期を選んだほうがいのかもしれない。

 

これは自分の経験談でしかなく、僕以外の方には当てはまらない感性なのかもしれないけど、何かを習慣づけていく時は「忙しくてもやる」という一種の義務感とそこまでして達成したという自己満足が継続につながると思うのだ。

 

例えば僕は今、「1日1時間は本を読む」「1日に一回写本をする」「短文でもいいから文章を書く」というルーティーンワークを義務付けている。まだ始めて一週間にも満たないがその中には酒の席や、関西から来た友人と過ごす機会もあった。

さすがにわざわざ有給まで使った友人の横で、本をひたすら読んだり書き写したりするのは憚られたので1日スッポカスことになったが、何とか3日坊主にならないようこの課題を再開している。

 

このようなことを始めたのはいくつか理由があるけど、一番の理由は『退屈』だったからかもしれない。

初めに言っていることと矛盾するが、始めようと思ったその日はたしかに暇だった。

暇だからとりあえずやってみる。

上手くやることができた。

明日もやろう。

明日は仕事の飲み会があるんだった。

でもやろう。

次の日は先輩の送り迎えがあるんだった。

早めにやってしまおう。

 

本当に継続する気があることならば、多少のことがあってもやる気をなくしたりはしない。今までやってきたという自負が自分を縛りルーティーンとなる。

それに、こうやって日記に書いてしまえば、ほら、もう辞めるなんて言い出せない。

 

まあ、その作業が必要なくなるまでは続けていきます。

忙しくても暇はありますし。